私のJPO奮闘記―“仮所長”としての3ヶ月間
2007年3月
UNIDO ベトナム事務所
Programme Officer
森 純一
(2005年度AE/JPO)
UNIDOベトナム事務所のデスクにて

1.
日本人JPO初の“事務所長”!?
国連工業開発機関(United Nations Industrial Development Organization: UNIDO)ベトナム事務所での私の勤務は、JPOとしてはかなり異例な形で始まりました。なぜかというと、赴任した事務所には同僚はおろか所長すらいない状況だからです。General ServiceのNational Staffとして秘書兼庶務1名(ベトナム人女性)、ドライバー(ベトナム人男性)の2名がいますが、Professional Staffは私1人だけです。そのため、本来代表が行うべき仕事もこなさなければなりません。ベトナム事務所の着任当日の記念すべき私の仕事は、あるプロジェクトに係わるセミナーに出席してUNIDOの代表として挨拶すること、そして在ベトナムのUN機関の代表会合への出席でした!もう毎日冷や汗ものですが、友人達からは、「よ、JPO初の所長!」とからかわれながら、今のところ何とか生き残っています。
このような状況には、良い面も困る面も多くあります。まず良い面としては、日々の仕事のプランやスケジュールに関して、ほとんど自由裁量をまかされていることです。誰からも管理されずに自律的に仕事をすることは大変な面もありますが、前職・前々職でも同様の立場でしたし自由に飛びまわれる今の立場は私には心地よいものではあります。また、代表級の会合に出席できるため、各機関のトップ・大使・政府の高級官僚などに会う機会が多くあります。3ヶ月間という短い間に、デルビッシュUNDP総裁とのUN Country Team代表会合に出席し、Consultative Group Meetingと呼ばれるドナー年次会合ではベトナムのグエン・タン・ズン総理大臣の斜め後ろに座り、UNIDO本部からは官房長とDirectorで構成させるミッションを招致するなど、とても刺激的な機会に遭遇しました(時に刺激的過ぎて気疲れもしましたが)。
一方、困る点としては、何をするにも全てを自分で一から学ばなければならず、常に試行錯誤であることがあげられます。もちろん本部に指示を仰ぐことはできますが、日々自分の行っていることが果たして適切なのか不安で一杯です。また、ほとんど個人商店に近く同僚がいないため、愚痴をこぼす相手もいなく孤独感があります。
なにはともあれ、新代表が赴任するまでは、なんとか生き抜くしかないのです!
2.
JPO合格までの紆余曲折
私が最初にJPO制度について知ったのは、大学5年生のときです。大学4年時にイギリス・ヨーク大学政治学部に留学した時から、できれば国際援助のフィールドで働いてみたいと漠然と考え始めました。そして、卒業前に行った旧ユーゴスラビアの難民キャンプでの数ヶ月のボランティアとしての経験がその想いを更に強いものにしました。しかし、日本人が国際機関で働くための登竜門であるAE/JPO制度に合格するにはまず修士号・そして職務経験が必要です。そのため、まずは民間企業へ就職して学生生活でたるんだ自分を鍛えなおそうと考えました。民間企業に就職するからには中途半端に援助をかじるより、どっぷりビジネスに使ってみようと思って就職したのが、アイワ株式会社という家電・AVメーカーでした。
アイワには運よく海外営業専門職として採用され、入社時から海外赴任要員として勤務しました。その後研修として派遣された海外物流部にてマレーシア工場への赴任のオファーをえることができ、入社わずか2年弱という速さで海外駐在員となりました。工場物流管理という、当初の希望であった海外営業とは異なる職種での赴任には迷いもありましたが、できるだけ早く海外での業務経験を積むためはこのチャンスを逃すべきではないと思い、赴任に踏み切ることにした。
その後4年半に渡るマレーシア工場での物流部マネージャーとしての経験は、とても密度が濃いものでした。激務に白髪と体重が増えましたが、今振り返っても製造業の現場で働き、時に汗と埃にまみれて工場・倉庫・港を駆け巡った経験が社会人としての血となり肉となりました。年若くして管理職の経験を積んだだけでなく、若手登用に積極的(というか物流関係では私しかいなかった)な社風や、厳しくも優しい上司、優秀なスタッフに恵まれたこともあり、会社の変革期に多数のプロジェクトに参加しました。そして、徐々にプロジェクトの運営を任されるようになり、サプライチェーンという当時最新の分野において現場管理からシステム構築まで非常に貴重な知識と経験をえることができたのは幸運なことでした。
そのような中、残念ながらアイワはソニー株式会社に吸収合併されることになり、私が勤務していたマレーシア工場も閉鎖することになりました。文字通り私の20代後半の青春をつぎ込んだ場所がなくなることはとても悲しいことでしたが、それと同時これが昔から憧れてきた国連での仕事にチャレンジする最後の転機かもしれないと感じました。そして本社に帰任後しばらくしてアイワを円満退職、米国タフツ大学フレッチャー大学院へ進学したのでした。
フレッチャーでは毎日出される大量の課題にもがき苦しみましたが、世界各国からの優秀かつ国際感覚に富んだ生徒達と触れ合うことはとても刺激的でした。また、多くを学ぶだけでなく友人という大きな人生の財産を得ることができました。駐在時代に蓄えた貯金を空にしましたが、その価値はあったと信じています。そして、在学中の2005年にJPO派遣制度に合格することにより、ようやく目指していた国際機関での勤務への道がついに開かれたのです。
3.
UNIDOへの派遣と現在の業務
派遣先を選ぶにあたり、かなり長く悩み、多くの方々から貴重な意見を得ました。しかし、最後の決断は自分でしなければいけません。当然のことながら完璧な選択肢などありえないのですが、私の場合は@これまでの製造業での職歴と工業化促進政策に関する知識を活かすことができること、A2年という短い時間を最大限に活用するため、ある程度基礎知識のある土地で働くこと、の2点を重視しました。また、ベトナムには大学院時代から既に2年ほど係わっており、国全体が活気に満ち溢れているこの国でもう少し働きたいという想いもあり、さんざん迷った挙句、UNIDOベトナム事務所に赴任することに決めました。当時のベトナム事務所代表とも面識があり、熱心に誘っていただいたという事情もあります。そして、私の赴任前に彼が離任することも伝えられた後の決断でしたので、1人事務所という状況も、大変だとは思いましたが驚きはありませんでした。
ベトナム現地企業の工場
UNIDOは、1966年に国連の一部局として発足し、1985年に第16番目の国連専門機関として独立しました。加盟国は171カ国、本部はオーストリアのウィーンにあり、世界29カ国に地域もしくは国事務所、12カ国にUNIDOデスク、14カ国に投資・技術移転促進事務所を設置しています。2005年時点での総職員数は647名、総予算は€ 356 million、技術協力プログラムの総額がUS$ 441.3 millionと、比較的小さな機関といえます。しかしながら、私には小さな組織が魅力の一つでした。組織内の風通しが良いこと、そして自分のプレセンスをより高めるチャンスが多いはずと考えたからです。そして、内部に技術・経済系など工業発展に関する分野で専門性の高い人々が多く、製造業出身で工業化政策を専門としていた私には、比較的なじみやすかったのです。
UNIDOは急速にグローバル化が進む今日の世界情勢の中で、開発途上国や市場経済移行国の経済力の強化と持続的な繁栄のための工業基盤の整備を支援しています。中でも、長期計画において重点が置かれているのが、@貿易能力向上、A環境とエネルギー、B生産活動を通じた貧困削減、の3分野です。ベトナムで現在進行中のプロジェクトとしては、@中部3省における女性零細企業家支援(主に食品加工)、A計画投資省・中小企業局における中央政府・地方政府における中小企業振興政策立案支援、B科学技術省傘下の工業品質標準局における検査および計測能力向上、CVietnam Cleaner Production Centerの設立および能力向上、の4件があります。その他に、UNIDOと政府が合意したIntegrated Programme (2006-2010) と呼ばれる5ヵ年計画では、さらに6件のプロジェクトを実施する予定です。
私は程度の差こそあれ現在実施中の全てのプロジェクトに係わっていますが、この3ヶ月間に特に力を入れたのが、Vietnam Cleaner Production Centerでした。Cleaner Production (CP) とは、1992年に地球サミットにて採択されたアジェンダ21に基づき、より汚染度の低い生産体系の確立を目指すものです。これには、従来の環境対策技術(ハードテクノロジー)の促進だけではなく、管理手法(ソフトテクノロジー)の向上も含まれています。UNIDOは1994年以来途上国におけるCleaner Production Center (CPC) の設立・運営を促進しており、これまでに34のCPCが世界各国で稼動しています。ベトナムでは科学技術省とのパートナーシップにより、1998年にハノイ工科大学構内にVietnam Cleaner Production Center (VNCPC) が設立されました。
VNCPCによる工場指導の様子
長い製造現場での勤務を通じ、環境対策が既に純粋な社会貢献活動としてだけではなく、企業の売上げ拡大および利益向上のために必須の条件となったことを痛感しました。特に2002年に欧州各国がカドミウムの含有規制を設けたことは衝撃的で、輸出および在庫管理を担当していた私は混乱するオペレーションを前に頭を抱えたものです。その後、工業化促進政策の研究者として訪問を繰り返したベトナムでは、十分な環境対策を生産工程に導入することが先進国への輸出や国内において外資系企業に部品を供給する必須条件となっていることを目の当たりにし、地場企業発展には環境対策を組み込んだ生産マネージメントの導入が必要であることを改めて感じました。そのため、UNIDOのプロジェクトの中でもVNCPCに最も興味を感じ、またこれまでの経験を生かせると考えたのです。
VNCPCに関連して私がこの3ヶ月に試みたことの一つは、外資系メーカーと取引をする地場企業における環境対応技術の促進です。 これまではVNCPCの活動は、主に繊維産業や紙産業に限られていました。ベトナムの産業構造を考えるとこれは正しいのですが、今後産業が発展していくにつれて機械産業での環境対策も大変重要な課題になります。ベトナムでは日系大手メーカーがテレビの生産台数を延ばしておりますが、例えばテレビの外枠などに使われるプラスチック部品に許容量を超えるカドミウムが含まれている場合、日系メーカーはそれらの部品を購入しません。このように、有害物質に関する適切な環境対策技術および管理手法を修得していなければ、国際貿易・国際分業体制といったグローバル経済の発展から、地場企業が取り残される恐れがあります。
このような状況を防ぐため、以前より研究者として交流のあった国際協力機構 (JICA) が支援する計画投資省・中小企業局傘下の技術支援センター(TAC)と連携をして地場部品産業におけるCP導入を試みております。TACは外資系企業の部品サプライヤーとなる可能性を秘める地場企業に対して技術・生産管理・マーケティング能力向上などの指導を行っておりますが、その際に地場企業の需要に応じて、VNCPCからは環境対策技術支援を行うことを検討しております。今後はまず大手日系企業を訪問して、地場企業に対する環境技術への要求内容を調べることから始めるつもりです。特に、欧州連合(EU)によるRoHS (Restriction of Hazardous Substances) と呼ばれる有害物質規制が導入された電機産業界ではその需要は高いのではないかと見込んでいます。
この試みと関連して、TAC・JICA・日本貿易機構 (JETRO) 主催の会議で、前職で研究していた裾野産業の重要性に関して地場企業の経営者や政府関係者に対して講義を行う機会を頂きました。その模様は恥ずかしながらテレビ中継をされ、新聞にも掲載されました。ミーハーな私は嬉しくもありましたが、自分の発言が公に取り上げられることに強いと責任感も感じます。
裾野産業振興に係わる会議の模様

もちろん新たな試みを実現することはそんなに簡単なことでありません。知識は未熟で、クリアするべき課題は多く、実施にはまだまだ時間がかかります。あせらず、小さなことから積み重ね、任期内にある程度の成果を出すことできればと考えています。
4.
UNそしてUNIDO対して感じる問題点
ここまでは主にUNもしくはUNIDOで勤務する良い面を強調してきましたが、もちろん問題も多くあり、日々ストレスと葛藤を感じているのも事実です。私はこれが2回目の転職ですが、最初に抱く印象というのは意外と正しいもので、むしろ時間が経つにつれて組織に都合の良い見方に染まってしまい、逆に見えないものが多くなってしまうものだと思っています。そのため、今後への自戒の意味もこめ、わずか3ヶ月で生意気かもしれませんが、思うところを率直に述べます。
まず、UNIDOについてですが、そのプロジェクトは興味深いものが多く、専門性も高く、特に生産性向上や付加価値の増加を目指す途上国におけて必要な機関であることは間違いありません。しかし、残念ながら組織体制はさほど途上国の現場に根付いたものでありません。全職員の約8割がウィーンの本部に集中しており、各国事務所にProfessional Staffは2・3名しか派遣されておらず、現地職員の採用も最小限にとどめられています(もちろんそれぞれのプロジェクトには外国人専門家・現地人職員など十分な人員が配置されています)。また、大部分の機能が本部に集中しており、国事務所にはあまり権限がなく、何をするにも本部の各プロジェクト担当者の決済が必要です。中小企業と同じで、全体の職員数が少ないと本部機能に多くを頼らざるのは仕方がない面もありますが、これでは本当にその国の需要に合致したプロジェクト形成もしくは迅速な意思決定を行うことはどうしても難しくなってしまいます。
次にUN全体についてですが、やはり民間企業と比べると非効率な部分が多いと感じます。例えば往々にしてコスト意識が薄く、会議での発言が外交的で冗長なものが多いと思います。製造現場で、腕の上げ下げの無駄すらコストに換算し、長い会議をすることを禁じられていた私にはどうしても違和感が残ります。また、ベトナムはこのほど国連改革の一部であるOne UN Initiativeという、現地レベルのUN機関の運営をできるだけ統合するといった試みのパイロット国に選ばれました。5 Ones (One Leader, One Plan, One Plan Fund, One House, One Set of Management Practice) というスローガンを抱え、各機関が歩調を合わせ援助効果の向上を日々模索しています。各機関の重複を防ぎ、またそれぞれの比較優位を最大に生かそうというこの動きは理にかなったものだと思います。このような大きな流れの中に身をおき、各機関と連携の可能性を探ることから学ぶことは多くあります。しかし、複数機関で同一の計画やプログラムを策定することは簡単ではなく、そのすり合わせに多大な時間が費やされているのが現状です。ましてや、本部同士の結合の前に現地事務所でそれを行おうとする形ですからなおさらです。パイロットプロジェクトといえば聞こえは良いのですが、要は本社同士が合併していないのに、子会社同士だけ先に合併しようとするようなものです。
しかし、もちろん問題はあっても、デルビッシュUNDP総裁が訪越時に強調したように、「国連はLegitimate―正当かつ合理的なーな存在である」という意見には賛成です。そして、その中で途上国の工業化を支援するUNIDOも必要な存在であると思います。現在の開発援助の潮流は社会政策に過剰に偏っていると思いますので、工業化促進による経済発展を目指すUNIDOの存在は、全体のバランスをとる意味でも重要だと思います。しかし、問題は直視しなければいけません。どこの政府機関や民間企業にも言えるとこですが、自己批判ができなくなった組織の将来は明るくありません。常に自身を含めた内部を、前向きな批判精神をもって見る目を失わずに働いて行きたいとものです。そしてなにより、国連の青いパスポートを受け取ったときの高揚感と使命感を忘れないようにしようと思います。
5.
今後JPOを目指す方々へ
JPOを目指す方々には簡単に分けて2つのグループに分かれるのではないでしょうか。第一に、援助業界に関わりが長く、その流れでJPOを受験する方々。これまで政府系の援助機関やNGOなどで勤務された方々などで構成されています。第二に、民間企業など開発援助とは縁の薄かった分野から転身して国際機関での勤務を目指す方々。商社、メーカー、銀行、流通業界など、様々な分野で勤務していた人たちで構成されています。
両方のグループの分野からの人材が必要であることは言うまでもありません。ただ、私は民間企業出身者として、特に第二のグループの方々にエールを送りたいと思います。どこへ行っても仕事の基本的なポイントというのは余り変わらないものです。民間セクターで鍛えられた方は、当たり前のことが当たり前にできるにようにトレーニングされている場合が多く、それは国際機関でも十分に通じるものです。ですから、是非自信を持ってJPOに挑戦して欲しいと思います。民間企業を経由することは多少遠回りであり、往々にして年齢がかさんでしまいます。わたしも年齢制限すれすれで受験しました。しかし、その分専門分野やマネージメントの知識が蓄積されていることと思います。このような分野からの人材が、効率改善を目指している今の国連機関にはきっと必要です。そして、JPOは転身を目指す方々には非常に有益な制度であると思います。国際機関は援助業界での経験を重視する傾向がありますから、私自身もJPO制度が無ければ民間企業から国際機関に直接採用されることは難しかったかもしれません。
さあ皆さん共に、青い紋章を胸に、「日本人、なかなかやるじゃないか」と、そして「国連機関があるとやっぱり心強いな」、と他国からの職員や現地の人々に思わせてみませんか!
