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  横谷 薫(現JPO、2006年6月よりUNDPウガンダ事務所派遣中)


1. はじめに
JPO制度は、合格すれば2年間、国際機関での経験が積めるとあって、開発協力分野でのキャリアを目指すものには、数少ないエントリーレベルの人材育成プログラムの一つとして人気の高い制度です。実際、これまでにも今後開発協力分野でのキャリアを目指す方々から、私自身の経験を聞かれることも少なからずありました。この度、これから国際機関勤務を希望する方々を対象に、私自身のJPOとしての経験と所感を書いてほしいという依頼を外務省人事センターよりいただき、私の経験がなんらかの参考になるのであればという思いから、JPOになるまでの自分自身と現在従事している業務をふりかえり、個人的感想を書いてみたいと思います。

2. JPOになるまで
学生時代から国際機関勤務を目指し、JPOをそのキャリアパスの過程に設定されているかたも多くおられると思いますが、私自身は紆余曲折を経て今に至っています。まず、開発援助の仕事を目指すきっかけになったのは、大学卒業後に従事した一般企業での社会貢献担当者としての業務経験です。そこでは、今で言う企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibilities)の担当として、他企業や行政機関、NGOsなど関係機関との協力を構築しつつ、社会に現存する問題解決に向け、一企業として果たせる役割を追求することを目的として、プログラムの開発、企画、運営から事務にわたるまで幅広い業務を担当しました。この企業での業務経験は、開発援助の仕事を目指すきっかけとなったばかりではなく、専門性以外に必要となるジェネラリストとしての実務および仕事のマネージメントスキル、組織の一員としてチームプレイを遂行するコミュニケーションスキル、社内だけではなく異なるミッションやモダリティーを持つ関係機関との連携を図りつつ一緒に目的を達成するスキルなどを習得しました。この経験は、国籍や文化背景が広く異なる職場環境で関係部署や諸機関との信頼関係を深めつつ業務を遂行することが求められる国際機関でのプログラム・アナリストとして業務を遂行する上での基盤となっています。

この経験を通じて、社会的弱者支援の分野に興味を深め、異なるバックグラウンドを持つアクターと共に目的を達成することの面白さを知りました。その後、国内のみならずグローバルレベルで現存する社会問題に興味を広め、その解決に寄与したいという思いが深まり大学院留学を決意、障害と開発の分野で修士号を取得しました。その間、途上国での経験を積むべく、スリランカにおいて障害者支援の分野で活動する本邦およびローカルNGOsでインターンを行いました。大学院卒業後は、日本の社会開発系のコンサルティングの会社に就職しました。大学院卒業後、すぐに国際機関を目指さずに日本の開発業界を目指した大きな理由の一つは、この分野で働く上で、日本人として日本の開発援助に精通する責任があると考えたこと、またそれが自分の強みにつながると考えたことからです。

開発コンサルティングの仕事を通じて、主に二国間援助の実務に従事し、プログラム・プロジェクトマネージメント、モニタリング&評価、社会調査など、実践を通じで専門性を高めました。JPO応募のきっかけは、これまでの経験を土台として、次は多国間援助機関の職員という立場から、社会に現存する問題をみつめその問題解決に向け自分にできる貢献を行うとともに、自分も成長したいという思いが強まったためです。人気の高い制度だけあって、競争率は非常に高い中、帰国子女でもなし、長期の海外勤務経験なし、開発協力分野一筋のキャリアでもない自分が合格できた理由を自分なりに考えてみると、社会人としての十分な基礎があったこと、今後、開発協力分野で社会的弱者といわれる人たちとともに働いていきたいという強い思いがあったこと、そしてその思いに向けて自分なりのビジョンを持ち具体的方策をとってきたことを、これまでの学業および職歴の経験から説得力をもって伝えることができたからではないかと思います。

JPOには一日も早い派遣を希望していたのですが、これまでの自分の経験を活かしつつ、将来の目標につながるポジションを模索しているうちに同期の中でも最も派遣が遅い一人となりました。最初に応募してから実際の派遣までは、実に足掛け2年という長さですが、ねばった甲斐があり、ウガンダ北部紛争地域における緊急支援から開発援助へのトランジションにかかわることのできる興味深いポジションにめぐりあうことができ、2006年6月より、UNDPウガンダ事務所において、危機予防復興支援(CPR:Crisis Prevention and Recovery)ユニットにプログラムアナリストとして勤務しています。

3. JPOとして派遣されてからの勤務状況と感想
ウガンダでは、政治的に安定し発展がすすむ南部と、20年以上にわたり反政府勢力との紛争が耐えず、住民がキャンプ生活を強いられている北部との格差が深刻な問題となっています。近年、国の発展のためには北部支援が不可欠と、ようやく政府も北部開発に力を入れ始め、各援助機関もそれを支援しています。現在、政府と反政府勢力LRA間の和平協定締結には到っていないものの、停戦合意の署名につづく平和交渉の継続を受け、人道・緊急援助から開発援助へのトランジションが喫緊の課題となっており、各機関が試行錯誤の中、協調のとれた活動を展開しようと力を合わせています。

国連機関の取り組みとしては、国連改革の流れを受けて2006年1月より正式に、クラスター・アプローチ(人道・緊急支援、および開発援助へのトランジションのフェーズにおける各機関の役割を明確化することで、アカウンタビリティーと透明性を高めてより効果的な介入を目指したアプローチ)が導入され、UNDPウガンダはこの新しい試みのパイロット国の一つとして、Early Recovery(人道・緊急支援から開発援助へのトランジション)のクラスター・リードとしての役割を担っています。UNDPウガンダ事務所の危機予防復興支援ユニットは、このようは背景を受け2005年の6月に新設され、主に北部の平和構築と国内避難民の早期支援を担当しています。

UNDPの役割としては、Early Recoveryのフェーズにおける、1)関係機関のコーディネーションと、2)UNDPのマンデートである生計向上支援、ガバナンス支援を大きな柱としています。1)のコーディネーションにおいては、国内避難民帰還地域における社会経済状況調査を関係政府機関および援助機関とともに実施するとともに、その情報を、優先分野や地区の特定など今後の支援計画に活かせるよう広める取り組みを行っています。また、2)の特定分野の支援については、支援活動の実施に向け、事務所内の他ユニット(貧困削減ユニット、ガバナンスユニット)との連携を構築しつつ計画を立てている段階です。

しかしながら、クラスター・アプローチそのものは本部・本局の上層部によって構築された理論的アプローチであり、実際現場でどのように実践していくか、誰も答えを持っていない中、パイロット国の一つであるウガンダでは試行錯誤で前進を試みているというのが現状です。特にEarly Recovery クラスターはマルチ・セクターを包括するクラスターとして、これまでのセクター・アプローチや他のクラスターとの役割分担が必ずしも明確にはなっておらず、プロジェクトの期間や予算などのサイクルやモダリティーの異なる他機関と連携の上で進めていくのは理論でうたうほど簡単にはいかないというジレンマを抱えているのが現状です。

また、前述のとおりUNDPウガンダ事務所内でもCPRユニットは新設のユニットであり、私自身が赴任する約半年前に急激に人員が増え、地雷対策プログラム、元兵士の武装解除・動員解除及び社会への再統合(DDR)プログラムなどをパイロットベースで実施してきしたこともあり、今後より戦略的な取り組みを行う必要性が急務となっています。他ユニットとの連携および役割分担も明確にしてく必要もあります。これに加え、人の出入りも激しく、プログラムを担当するスタッフの定員の半分以上が空席の状態であるなど、様々な課題が山積しています。

そんな状況の中、私自身の日常の業務は非常に多岐にわたり、実質的には何でも優先順位の高い業務から内容に関わらずこなすことになっています。パイロットプログラムの評価調査の実施、新規プログラム実施に向けての準備業務、本部への年間業務報告と次年度の業務計画の策定業務などのテクニカルな業務に加え、ジョイントプログラムの計画策定、国連共通枠組み(UNDAF:United Nations Development Assisstant Framework)のレビューなど、ウガンダ国内の国連機関間の連携にかかる業務、また、人材のリクルートメントやオフィス内部の事務的な業務にもかなりの時間を費やしているのが現状です。内外で実施される各種ミーティングへの参加および報告などの時間もばかになりません。

現状を鑑み、今はTORにこだわらずUnitの一員として、プログラム全体を立て直し、みんながより適切かつ効果的な業務が行えるよう貢献することを心がけていますが、今後はより焦点を絞った役割を担いつつ次につながる専門性を身につけていく必要性を感じています。現在、カントリーオフィスとして、プログラムの戦略的焦点、サブオフィスの機能の明確化、他ユニットとの連携と明確な役割分担、より戦略的な人員配置などを含むCPR戦略の策定を目指しているところであり、その成果に期待するところです。

4. JPOの後
現在は派遣後1年未満ということで、担当職務を納得いくレベルかつ貢献が認められるように遂行できるよう注力しており、それがひいては次につながると考えています。しかし、JPO制度が必ずしも次を保障するものではないこともはっきりと感じており、現状は厳しいものになるであろうと想像しています。

UNDPにおいてJPOは内部スタッフとして派遣15ヶ月を経たところで内部スタッフ用の空席ポストへの応募が可能になりますが、実際にはなかなか簡単にはいかないようです。その理由は、JPOのレベルであるP/L2レベルの空席募集が極めて少ないことに加え、前述のとおりP/L2レベルでの業務を通じて専門性を高めることが必ずしも容易でないと実感しているからです。自分自身が従事したリクルートメントの業務などを通じで、特にインターナショナルのポストの高い競争率と応募してくる人材の豊富で多様な経験には正直予想を上回るものがあります。採用側としては、この中から国連内での経験年数が長く、高度な専門性を有し、さらにマネージメントおよびリーダーシップの強い人材を

また、日本のJPO制度は応募時の年齢制限が35歳ですが、国連が期待するエントリーポイントとしてのJPOの想定年齢よりも高いものであるようです。これに合格から派遣までに要する期間を加えると、私のように年齢制限ぎりぎりに応募した場合、国連内で想定されるP2レベルの年齢をかなり上回ることになります。これは個人的な感覚ですが、実際、日本人JPOは他国のJPOの平均年齢より高いように思います。年齢は問われないのが原則とはいえ、言葉や国際社会での経験の上で比較的壁のある日本人にとって、より早いうちから国連機関での経験を積んだ他国の人材と競争していく上では決してプラスになるものではないと感じています。

しかしながら、私にとってJPO制度は、国際機関とのかかわりを深めつつ、国際舞台で自分自身にチャレンジするきっかけとなっています。実際これまで多くの上司や同僚とめぐりあい働く中で、期待以上のことを学び成長する機会を与えてもらっていると、心より感謝しています。



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