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JPO体験記

国際連合児童基金
米州カリブ諸国地域事務所プログラム部教育課
教育プログラム担当官
岡智子


1. JPOを受験しようとした(国際機関勤務を希望するようになった)きっかけ

 私は7歳からガールスカウトの会員で、国際連合児童基金(ユニセフ)への寄付金を集めるため、街頭で募金活動をしていたので、ユニセフ自体はは身近な存在でしたが、ユニセフ職員というのは遠い存在で、自分がそれを目指すことになるとは想像すらしておりませんでした。県立高校時代にガールスカウトの海外派遣で当時はまだユーゴスラビアであったクロアチアを訪問し、現地のガールスカウトと交流をして素晴らしい体験をしました。しかし、英語が話せたらもっといろいろなことを話し合えたのにと考え、苦手な英語を克服したいと思うようになりました。また当時は青少年の自殺が社会問題になっていたので、心理学を勉強したいと考えておりました。英語と心理学の両方を学ぶにはどうすべきかと考え、最終的には英国大学正規留学を志しました。英国を選んだ理由は、1)英国出身のロックバンドが好きだったこと、2)ガールスカウト生誕の地であったこと、3)美しいクイーンズ・イングリッシュが身に付くということに魅力を感じたからです。残念ながら、未だに私の英語はジャパニーズ・イングリッシュですけど(笑)。
 英国での大学生活は毎晩宿題に追われる毎日でしたが、2年経ったころには少し余裕ができ、地元のガールスカウト活動にも参加しました。ある日、英国版の青年海外協力隊である、ボランタリー・サービス・オーバーシーズ(VSO)の派遣資金を集めるという目的のスポンサード・ウォークにガールスカウト代表として参加しました。友人・知人にスポンサーになってもらい、私が歩いた距離に応じてスポンサーがVSO派遣資金を寄付し、市民が寄付金を集めれば集めるほど、政府もVSO派遣予算を増やしていくという事業でした。英国は市民参加型の国際協力が浸透しているなあと感じました。雨の降る森の中、ぬかるむ山道を転んで泥まみれになりながら歩いたのは「アフリカの最貧国の人が一番近い水汲み場、もしくは医療施設まで歩く距離」でした。このとき、私たちは毎日温かいシャワーを浴びて清潔な水を飲めますが、世界には水を得るために毎日この距離を歩いている人がいるという格差に愕然としました。そこで、こんな不公平な世の中を何とかしたい、途上国の開発の仕事がしたいと考えるようになりました。その頃、就職情報誌で青年海外協力隊について知り、興味を持っていたところ、協力隊に合格した高校時代の友人が「ガールスカウトの経験が活かせる青少年活動で受験してみては」と募集要項を送ってくれました。青少年活動の経験をもっと積めば協力隊員になれると思い、そこから私のキャリアパス形成が始まりました。


2. JPO受験に向けて、どのようなキャリアパスを形成してきたか

 英国国立ケント大学社会臨床心理学科を卒業し、青年海外協力隊で必要な職務経験を身に付けるため、ロンドンにあるガールスカウト世界連盟本部の研修センターで半年間勤務をしました。多様な国籍の人と寝食を共にして生活しながら仕事をするのはとても楽しく、また当時ガールスカウトと国際連合難民高等弁務官事務所との共同事業が始まったところで、多文化が混在する国連で働きながら開発に貢献したいと思うようになりました。その後、インドのガールスカウト研修センターの事業に1ヵ月参加し、途上国でも生活できるという自信を得ました。帰国後は、ガールスカウト日本連盟本部の職員として、教育、企画、出版、広報に2年半従事し、社会教育やコミュニケーション、NGOの運営について学ぶことができました。また、ボランティアとしてもガールスカウト活動を続け、第一回川崎市青少年フェスティバル副実行委員長を務め、青少年活動の知識と実務経験を身に付けていきました。その後、2回目の挑戦で青年海外協力隊に合格し、エクアドル国ナポ州テナ市役所青少年課への配属が決まりました。
 エクアドルでの派遣先はアマゾンの奥地にある人口12,000人位の小さな町で、参加型企画運営手法による青少年グループの活動支援や、青少年問題の調査等を行いました。調査の結果、10代女性の死亡原因の殆どが望まない妊娠と中絶によるものであったため、地元の助産師と共にリプロダクティブ・ヘルスのプロジェクトを立ち上げたり、夏休みには栄養やスポーツ等の講習会を開催したりしました。2年の滞在でスペイン語での業務もこなせるようになりました。子どもたちとの活動を通して、教育問題に関心が深まりました。青少年の健全育成に関心が無く、青少年の政治的利用を目論む一部の学校教員や市役所職員の問題、教科書の質の悪さ、国が経済危機に陥り、教員の給料が3ヵ月払われなかったためストが起こり、子どもたちが学校へ通えなくなる等問題は山積みでした。教育が良くならないと国は良くならないと痛感し、大学院で教育政策を学び、子どもたちが質の良い教育を受けられるようにユニセフで仕事をしたいと強く望むようになりました。
 伊藤国際教育交流財団の奨学金や、青年海外協力隊帰国隊員支援プロジェクト研修費を得て米国ハーバード大学教育大学院で教育政策を専攻しました。米国の大学院を選んだのは、中南米は米国の影響が強いので、米国という国を肌で知らなければならないと感じたからです。大学院生活は、中南米出身者、NGOや平和部隊(米国版青年海外協力隊)等、志を共にする仲間と切磋琢磨し合う充実した1年間でした。卒業後JPOを受験しましたが、1回目は補欠だったので、企業での経験を身に付けたいと思い、1年間は開発コンサルティング会社のアイ・シー・ネットでお世話になりました。担当したジェンダー政策評価では、グアテマラの女子教育について考察し、国際協力の重要性とその効果や課題について理解を深めることができました。
 翌年JPOに再挑戦し合格しました。既に少しは文化や言語に対する理解ができている中南米を希望したところ、外務省から在パナマユニセフ米州カリブ諸国地域事務所プログラム部教育課ではという打診があり、本当は地域事務所ではなくフィールドに近い国事務所で働きたいと思っておりましたが、直属の上司になる方と電話でお話したところ、地域事務所はユニセフの国事務所を支援する重要な役割を担っていると力説され、大いなる学びの機会になるだろうと考えて地域事務所への派遣を受諾しました。


3. JPOとして派遣されてからの勤務状況・感想

 首都パナマ・シティは規模が小さくインフラも整っていて住みやすく、生活には便利なところでした。途上国であるにもかかわらず、水道水が飲めることに感動しました。事務所のある「知識の市」は国連の地域事務所が集まっていて、他の機関の方とも知り合う機会が多い恵まれた環境でした。配属先は、中南米・カリブ諸国24カ国にあるユニセフ国事務所にガイダンスを与える役割と、国事務所から集めた情報をまとめてユニセフ本部に送るという連絡調整的な業務を担っていました。教育課は地域教育アドバイザーである上司と私、そして秘書的な役割を担うアシスタントが他部署との兼任という3名の小さな部署でした。ユニセフは「乳幼児死亡率」、「国民総所得」、「子どもの人口」によって資金が配分されるため、アフリカや南アジアの状況は本部の方針に反映されやすい傾向があります。当地域事務所は、統計上の平均値は先進国並である中南米・カリブ諸国に存在する格差の問題や、援助物資を送るよりも政策提案的な活動をする当地域の状況を本部の方針に反映させ、国事務所に対して本部にはできないきめ細かな支援をすることが求められています。実際、それをたった3人で実施するには限界があると感じました。上司は出張が多く、いつも過労気味でした。
 当初は国連の略語の多さや、英語とスペイン語が混在する事務所での会議に戸惑いましたが、いつの間にか慣れておりました。最初に与えられた仕事は、ある組織とユニセフ地域事務所が合同開催する会議への参加者選考のために応募者の履歴を表にまとめることでした。選考会議ではその表が選考委員に配られ参加者の選考が行われたのですが、結局は表に書いてある履歴ではなく、選考委員が知っている有名な人が選ばれたので、時間をかけて丁寧に表にすることは無かったのではと感じました。しかし、表にすることによって説明責任を果たしたことになるのかもしれないと考えると複雑な気持ちでした。また、実際の会議には選ばれた人が来なかったり、選ばれていないのに勝手に参加してしまったりという人もあり、国連とは何でもありのところだなあと感じました。
 その会議のフォローアップは部下である自分の仕事と考え「○○の件について情報を提供しましょうか?」、「△△の件について問い合わせましょうか?」等と上司に対し積極的に提案をしたのですが、全てにNOと言われました。まだ信頼されていないのだろうかと考え、依頼された仕事は完璧に提出するように心がけましたが、その後たとえ小さなことを提案しても、なかなか許可は得られませんでした。前任者や同僚から話を聞くうちに、上司は全ての業務を自分のコントロール下に置きたい、自分のペースで、できれば自分自身で物事を進めたいと考える傾向にあり、先走りの提案には許可が得られないことがわかりました。やはり情報収集は大切だと痛感しました。最終的には当該地域各国事務所の教育担当官に自由に情報提供する許可を得られたので、大学院から届く最新の調査結果等を各国事務所代表と教育担当官に送付できるようになりました。
 24カ国から集まった既存の情報を体系化して表にする、いわゆるコピー&貼り付け作業も多く求められ、最初は「誰かがしなくてはならない仕事だからお役に立てるなら」と喜んで取り組んでいたのですが、自分の今までの知識や経験を活かすことができていないと途中不安に思ったこともありました。しかし、話し合いの結果、上司は「表作成作業も大切な仕事の一部であり、そのような仕事を嫌がらず行う人を評価する」ということが分かりました。また、教育課内で合意のできていないままプログラム部全体会議に出席するので、発言の機会がないと感じたり、プログラム部で長時間かけて話し合いを経て決定した事項が地域局長の意向と異なったために白紙に戻ったりしたこともあり、それなら最初から局長の方針が示されていれば時間の無駄が省けたのではと考えたりしました。会議は長引くことが多く、前の発言者と同じことを繰り返して発言する人がいたり、感情論や単なる自己主張で議論が白熱してしまったりと効率の悪さを感じることもありました。
 時間が経つにつれて、国事務所の年次報告書の担当国分析発表においてプレゼンが良かったと褒められたり、そこでの話し合いを基にした担当国事務所へのフィードバックレターは、ドラフトをプログラム部全体にいち早く共有してコメントをもらうことによって改良を重ね、地域プランニング担当官から最終版はとてもよく書かれていたとの言葉を頂いたりして、少しずつ自分もユニセフの仕事に貢献できるようになったと感じられるようになりました。また、保健課や人事課から調査の依頼を受けたり、パナマ国事務所の教育事業を手伝ったりと活躍の場が増えてきました。また、教育課は乳幼児総合ケアも担当していたので、その分野についても学び、専門家とのネットワークを広げることができました。
 地域事務所では事務的な作業が多かったので、ユニセフの事業が子どもたちの役に立っているかどうかが見えにくかったのですが、3年目にJPO研修費を活かしてアルゼンチン国事務所に2週間派遣されたとき、それが実感できました。ユニセフを代表してプロジェクト修了式でスピーチをする機会を得られ、ユニセフの支援によって学校を卒業することができた子どもたちの笑顔や感謝の気持ちに触れることができました。また、国事務所での上司に当たる教育担当官が必要としている情報を直ちに提供できたことや、プロジェクト文書に対しコメントすること等によって高い評価を得ることができ、地域事務所での3年間で得られた知識と経験が価値あるものであったと心から思えるようになりました。


4. JPOとしての経験を今後どのように活かそうと考えているのか

 業務に関しては、上記のように一定の進歩が見られましたが、JPO後の正規職員への進路開拓は困難を極めました。派遣前研修でユニセフの人事担当官が、中南米・カリブ諸国地域はJPOを歓迎すると話していましたし、24ヵ国に事務所があるので、地域事務所で成果を認められれば、正規職員の道は開けるのではと予想しておりました。しかし、当地域はユニセフ本部からの予算配分が他地域に比べて少ないので、ユニセフにとって無償労働であるJPOは歓迎されますが、教育分野においてはJPOの次のステップに当たるポストは現地スタッフであるナショナル・オフィサーで賄われていて、JPOが応募できるレベルの空席は存在すらしませんでした。そこで、他地域に点在する空席に応募しなければなりませんでした。
 またユニセフ全体の教育ポストを分析すると、本部以外のプロフェッショナル2(P2)レベルのポストは全てJPOで占められていて、次のレベルであるP3(以下プロジェクト予算で設置されるL3も含む)のポスト数はP2のほぼ半分の数と極端に少なく、その次のP4のポストはP2のポストのほぼ2倍存在するというキャリア展望の立てにくい組織構造になっていました。P3のポストが運良く空席になり公募されても、ナショナル・オフィサーとして10年近く経験を積んできた人とユニセフ内で2年程度の経験しかないJPOが競争すると、JPOはどうしても不利になる傾向にあります。また国連では事務所内で既に採用したい候補が決まっていても、形式的には公正な選考過程を経て選ばれたことにするために空席公募することが多いので、応募書類提出後にその事実を知ると憤りを感じました。
 JPO派遣1年半を過ぎたころから今まで国連内で25以上の空席に応募しました。教育分野だけでは空席の数が少ないので、カバーレターが作成できる程度の知識、経験がある分野には全て挑戦しました。応募の際には、各事務所の年次報告書や年間計画書等を読み、空席の業務に求められる経験をカバーレターに盛り込み、いろいろな方のコーチングや支援を受け、書類選考を突破できるように工夫を重ねました。私の場合、運良く電話面接まで選考に残ることができても、そこでリラックスして自分の強みを上手く表現することができず、合格には至っておりません。先進国のユニセフ職員の国籍内訳を見ると、米国と英国出身者が突出しています。欧州出身の同僚たちが「自己PRを小さな頃から訓練されている国民は有利よね、私たちは謙遜することが美徳と育ってきているからね。」と語っていて、日本人と同じ悩みを抱えているのだなあと意外な発見をし、お互いに励ましあい、情報交換をしたりして支えあっています。
 JPO派遣期間内には、国連正規職員になることはできませんでしたが、やはりJPOで派遣されたことは大いなる学びの経験になったと感じており、今後国際協力の分野で仕事をしていく上で私にとっては必要不可欠であったと思います。業務を通じて得られた組織文化に対する理解は、今後国際機関で働く場合も、国連をパートナーとして業務を遂行するに当たっても、より現実的な戦略立案に役立つでしょう。また、国連機関、各国政府、日本政府、NGOや大学教員等と築いたネットワーク、人と人とのつながりは何よりも貴重な宝物であり、これからも大切にしていきたいと考えております。ユニセフの支援によって子どもたちが教育を受けられるようになった喜びを体感できたことと、この体験を通して国際機関で活躍できる自信を身に付けられたことに感謝し、これからも世界平和と持続可能な開発に貢献できるように、今後とも挑戦を続けていきたいと思います。



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