| HOME>JPO体験記>中村俊裕(元JPO、現在UNDP危機予防復興支援局勤務) | BACK |
| 中村俊裕 UNDPインドネシア事務所、プログラム計画・評価部チーフ |
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東ティモールの長谷川祐弘氏邸で |
| はじめに | |
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JPOについての体験談と意見をざっくばらんに書いて欲しいという依頼を外務省人事センターから受けた。
JPOになるまで、JPO期間、JPOの後の様子を簡単に書いたあとで、個人的感想を書いてみたい。 |
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| 1. JPOになるまで | |
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高校時代から国際機関で働くことには非常に興味をもっており、大学の専攻を決める際も国連人権委員の議長も務めた国際法の安藤仁介教授のゼミに参加した。正直なところ、クラブ活動に熱中していたため、あまり真面目な生徒ではなかったが、何とか卒業にこぎつけた。3回生あたりから、同級生が就職活動・もしくは司法試験などに真剣に打ち込みはじめたが、私自身国際機関への興味が非常に強く、日本企業への就職にも、法曹界にも興味がもてなかったこともあり、国連機関へのステップとして修士号を取得するため海外留学を選んだ。 イギリスのロンドン政治経済学院( LSE )で比較政治学を修士号を取得した後、フランスでの語学留学、 UNHCR 本部でのインターンなどを経て、経営コンサルティング会社、マッキンゼーの東京オフィスでコンサルタントとして働いた。
2001 年度の JPO の選考プロセスに参加し、同年の冬に合格の通知を受ける。その時に希望したい機関と勤務地を書いて外務省に提出。紛争後の復興に興味を持っていたため、アフガニスタンと東ティモールを希望した。ちょうどその頃、東ティモール支援ミッション( UNMISET )の国連事務総長副代表兼国連開発計画( UNDP )の駐在代表に 長谷川祐弘 氏が着任することになっており、長谷川氏との面談を経て、東ティモールに着任することになった。 |
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2. JPO期間 |
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2002年の8月にまず、東ティモール支援ミッション( UNMISET )で長谷川氏の私設補佐官として着任し、同年の11月には国連開発計画( UNDP )に移り、ガバナンスの部署のプログラムオフィサーとして働くこととなる。東ティモールは1999年のインドネシア軍との衝突以降、7000人にも上る当時の公務員が東ティモールを離れ、統治機構としての国家が完全に真空化していた。そこで国連( UNTAET )の暫定統治といういわゆるクッション期間を設けて、独立準備を進めるということであったが、2年間あまりに及んだ国連の暫定統治をへても、2002年の独立時の東ティモール国家のキャパシティーはまだ非常に低く、大規模な援助が必要とされた。 ちょうどこのころは、国連の平和維持活動(いわゆる PKO )の役割、そして PKO と他の国連機関との連携が大きく見直されている時であった。この新しい連携の試みのひとつとして、 PKO と UNDP で、国家機関のキャパシティービルディングのジョイントプロジェクトが立ち上げられており、そのプロジェクトを UNDP 側から担当することになる。 プロジェクトの内容の詳細はさておき、*1 この JPO 期間は様々な意味で国連の仕事にやりがいと同時に、違和感や戸惑いを感じた期間であった。以下いくつか例を紹介してみる。 |
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| 国づくりへのかかわり | |
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なんといってもやはり、東ティモールという世界で一番新しい国家で、国づくりに参加できたというのは、やりがいを非常に感じ、気持ちが高まったのをよく覚えている。2・30代のガバナンス部の同僚達もそれぞれ非常に重要なプロジェクトの担当をしており、司法、立法、行政、さらに治安などの国家機構の基本となる分野の中心的政策立案や執行におおきく関わっていた。さらに、当時は独立で職を失った元兵士の社会統合が大きな課題となっており、 UNDP はこの分野での政府のサポートを強化している時期だった。またそれらの取り組みが、安全保障理事会などで注目をされているとなると、なおさらだ。 |
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*1このプロジェクトの概要、変遷、そして国連諸機関と PKO との連携問題などは拙書の ”Reflections on the State Institutions Building Support in Timor-Leste: Capacity development, integrating mission, and financial challenges' , UNDP Oslo Governance Centre, 2005 を参照 | |
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大統領シャナナ・グスマンが開いた元兵士との対話集会で発言する元兵士 |
| 多様なバックグラウンドを持つ人々との出会い | ||
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191の加盟国を持つ国連だけあり、多様な国籍・バックグラウンドを持つ多くの人々と出会う機会に恵まれた。たとえば、私のいた UNDP のオフィスでは、元判事のノルウェー人、元投資銀行員のアメリカ人、元経営コンサルタントのエジプト人、元通訳のオーストラリア人、元研究員のフィンランド人などが働いていた。このような多様性のある同僚がティモールの再建というひとつの目的のもと世界各地から集まって仕事をしているのだ。 東ティモールが非常に小さい国だったということもあり、仕事が終わっても、食事を一緒にしたり、休日にはダイビングや釣りにいったりと、友好を深めることができた。皆今では、また世界各地に散らばって色々なことをしているが、今でも良い友人だ。 上司にも非常に恵まれ、新しいことを色々と試す機会も与えられた。特に長谷川氏に特にお世話になり、公私にわたって色々なアドバイスをいただいき、感謝している。 |
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東ティモールの東端に位置するジャコ島 |
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自衛隊の活躍 |
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カンボジア平和維持活動への自衛隊の派遣以来、自衛隊の紛争後の復興、開発に対する貢献はめざましいものがある。私が東ティモールに駐在していた時も常時自衛隊が数百人はたらいており、道路の整備を中心としたインフラ整備に大きな貢献をしたいた。他の軍隊と比べ、勤勉できっちりと仕事をするという評判はあっというまにティモール中に広がっていた。 個人的にも自衛隊員と仲良くなることができ、週末には各国の軍隊などでつくるタッチフットボールの試合に、日本の自衛隊でつくる“サムライズ”の一員として一緒にあそばせてもらった。非常にいい思い出となっている。 |
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国際機関内でのプロフェッショナリズムのばらつき |
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東ティモールでは平和維持活動に従事する人々をはじめとし、国連諸機関の多くの人々と仕事をする機会に恵まれたが、同時にプロフェッショナリズムのバラつきが目についたのも否めない。ある人は東ティモールの発展を真摯に考え国連ボランティアとして非常に真剣に仕事にうちこんでいる一方で、いわゆる“プロフェッショナル”と呼ばれる国連のスタッフの仕事に対する姿勢に失望することも多々あった。 短絡的な答えは避けるべきだが、この問題は、国連機関の人事制度によるところがおおきいと考えている。国連人事制度は国際公務員機関?( ICSC )の定めた制度のもと、採用、人事評価、昇進、免職制度のどれを採ってみても、民間と比べて非常に遅れている。採用・昇進に関して言えば、いまだ年功序列的は制度がはびこっており、勤続年数が、スキルよりも重視される傾向がつよい。また、民間のプロフェッショナルファームで見られる、パフォーマンスに基づいた免職などはほとんどみられない。昇進や昇給、そして解雇のインセンティブが少ないのでパフォーマンスがおろそかになりがちだ。 とはいえ、国連機関は民間と比べて構造的に大きなハンデを背負っていることは確かだ。特に長期開発に重点を置いている機関では、被援助国側のオーナーシップを担保するためにも被援助国籍の現地人採用が基本的方針で、その他の国籍を有する人の国際採用が限られている。*2 多国籍企業の更なる拡大が起こっている民間部門でも、このような現地・国際採用の舵取りが大きなイシューとなっている。また労働者の権利を含めた人権保護を推進する機関として、一部の投資銀行のような首切りは受け入れられない。 |
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*2 当然国際採用の高コストも理由のひとつ。 |
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仕事と休暇 / 公と私のバランス |
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ある統計によると、日本人サラリーマンは有給消化率が50%以下で、年間平均約7−9日の休暇をとると言われているが、国連機関では、欧米的な休暇を重視する文化も浸透しており、年間30日ある有給がしっかりと消化されていることが多い。自分自身もいまだになぜか休暇をとるさい、日本の企業で働く友人を思い浮かべ、少し罪悪感を感じることもある。 とはいえ、特に紛争後の国や、緊急援助機関での仕事は非常にストレスがたまることは否めない。平日遅くまで仕事をし、映画館もおしゃれなレストランもないところで、蚊、ゴキブリなどに囲まれ、頻繁に起こるパワーカットの中で暮らすのは必ずしも容易ではない。さらに、治安に問題がある勤務地となると、警備に囲まれたオフィスと自宅の間を往復するだけの生活ともなりがちだ。また、こういった危険地の多くは、家族勤務地とされておらず、夫婦間での問題が起こるきっかけにもなっているようだ。子供がいる場合はさらに学校をどうするかなどの問題があり、様々な僻地を点々とする国連の仕事はプライベートとのバランスをいかにとるかが継続の秘訣なのだろう。 |
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| 3. JPOの後 |
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ほぼ20ヶ月の JPO 期間のあと、幸運にも UNDP の LEAD プログラムに入る事になったが、 LEAD のアサインメントを始める前に、ガバナンス特別研究員として、ノルウェーの UNDP ガバナンス研究所で、東ティモールの経験をまとめる機会を与えられた。これは非常に良い制度で、2ヶ月間オフィスとリソースを与えられ、フィールドの経験を論文にまとめ、またオスロの研究機関などを招待して、論文の内容を発表をする機会を与えられる。その後ジュネーブの危機復興・予防局( BCPR )に勤務することとなった。 ジュネーブに着き、アパート探しをしながら新しい仕事の内容を分かり始めた着任後2ヶ月もたたないうちに、スマトラ沖地震・津波が起こった。それを受けて、インドネシア事務所に短期出張で派遣されることとなり、インドネシア政府・世界銀行などとともに津波の被害額算定・長期的復興計画作りに参加する。その後正式にインドネシアオフィスに異動となり、今に至っている。 |
| 4. JPO制度に関する個人的感想 |
| 私自身、 JPO という制度にサポートしてもらい、現在に至るわけだが、その過程で感じたいくつかの感想をあげてみる。 |
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JPO 制度は国際社会での経験が他の国の人材に比べて乏しい日本人にとっては、国連との関わりをつくるいい機会。 | ||
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JPO が、日本人だからといって日本政府に頼りすぎるのは逆効果。まずは国籍を越え、職場内外で認められる仕事をすることが第一。 | ||
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JPO 制度と並行して、ターゲットを広げ、もう少し費用が安い制度も考えられるのではないか。インターンのサポート強化、日本企業や NGO との交換人事サポート。 | ||
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国連改革を考慮すれば、今後数多い国連機関の“淘汰”が予想される。そのなかでも、日本側としては、パフォーマンスが評価されている国際機関への派遣を戦略的に行っていくべきだろう。 | ||
今後とも多くの方々が国連に入ってきて、一緒に国連をより効率的でより魅力のある機関にできればいいとかんがえている。 |