幼いころから母親に「手に職つけなあかん」「芸は身を助けるんやで」といわれて育ち、その後、学ぶ喜びを伝えるという仕事が自分に合っていると考えるようになり、教育大学へ進学、英語教諭になりました。一方、海外や途上国、貧困などへの興味も常にあり、ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんの「トットちゃんとトットちゃんたち」を読み感銘し、本の中の貧困に苦しむ世界の子どもたちのエピソードを英語に訳して教材に使ったりした思い出があります(おそらくこれがユニセフとのはじめての出会いだったと思います)。大学時代の交換留学制度で米国の大学の教育学部に一年留学した時も、多くの授業で差別や経済的困難に苦しむ移民家族やマイノリティーたちへの教育について頻繁に議論され、社会的、経済的弱者の教育という分野に強い興味を持ちました。
教諭時代のある夏休みに、ふと思いついてスペイン語習得のためグアテマラへ行ったのが転換期となりました。そこで見た先住民族の女性や、子どもたちの様子は今も忘れません。 教育機会に関しては、日本の教師にとっては、無いか、あっても無いに等しい質としか感じられませんでした。 その頃から、乾いたスポンジのように比較教育や国際協力関係の本を読みあさるようになり、そこで国連機関の仕事や役割を知るようになりました。 さらに、国連で仕事をする人たちは「開発学」なる学問を勉強した人が多いということもわかり、そんな学問があるのかという驚きと同時に、勉強してみたくなって大学院留学を思い立ちました。 そこからは、ひたすら突き進んだという印象です。 JPO制度は大学院2年生の時に応募し、卒業後、日本の開発コンサルティング会社で見習いをしているときに面接、合格を頂きました。
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