・「開発途上国」との出会い: 私が「開発途上国」を始めて身近なものとして意識したのは、人間関係を通してでした。もともとは日本の中学校か高校で英語の教員になるつもりでしたが、発想を転回して、母語である日本語を外国人に教える道を選んだことが、今にして思えば全ての始まりだったようです。大学に在籍していた頃、近所のコミュニティセンターに集まる外国人たちに、ボランティアで日本語を教える機会を得ました。私の「学生」たちは、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ・中東などのいわゆる「途上国」から様々な理由で日本へ来て、仕事をしたり、家庭を持ったりしている人たちでした。日常生活ではなかなか接する機会のない人々との交流は刺激的でしたが、彼らの母国の様子などを教えてもらうにつれ、開発や貧困問題、特に途上国の基礎教育に関して漠然とした興味を持つようになりました。
・「開発問題」との出会い: その後、都内の日本語学校勤務を経て、青年海外協力隊に参加し、ハンガリーの首都ブダペストで 3 年間日本語を教えました。ハンガリーは当時もいわゆる「途上国」ではありませんでしたが、経済・社会的不平等、豊かさの中の「貧困」など色々と考えさせられることの多い 3 年間でした。特に、少数民族のロマの子どもたちが直面する教育問題の数々には衝撃を受けました。貧困による未就学、コミュニティ・親の極度の学校不信、教授言語と母語の違いに基づく学習困難、カリキュラムや教科書で一貫して強調される否定的な民族のイメージ、あからさまな人種差別による隔離政策(障害者と認定され特殊校や特殊学級へ振り分けられるなど)、女子の早婚、男子の児童労働、劣悪な健康・栄養状態、結果として必然的に高くなる留年・退学率など、ロマの子どもたちを取り巻く諸問題は、程度の差こそあれ、いわゆる途上国の教育問題と共通するものが多かったのです。こうして、身近なロマの子どもたち、そして同じように基礎教育の機会すら与えられない数多くの子どもが世界中にいるという事実に対して、自分は何ができるだろうかと考え始めたのが、現在まで続く強い個人的な動機となっています。
・キャリアパスの模索: こうしてごく自然に、協力隊の後は開発援助・国際協力の道へ進もうと決心し、少しずつ情報収集を始めました。その結果よく分かったのは、この業界は若手のエントリーポイントが極めて少ないこと、そして学位・専門性・語学力の 3 つの要件をクリアしなければスタート地点にすら立てないという厳しい現実でした。 JPO 制度について知ったのもこのときが最初ですが、少数民族の開発というセンシティヴな問題に興味があったので、特定の国の政府機関よりは多少とも「中立的」な立場にある(と見られる)国際機関での仕事に魅力を感じました。そして、前述の 3 要件をとにかく満たすため、一番の近道と思われた留学を決意します。同じ道を先に行く協力隊出身の知人からのアドバイスや実際の訪問の結果、ロンドン大学教育研究所の「教育と国際開発」という修士課程に進学することにしました。留学を開始するまでの 1 年弱の間は、協力隊訓練所の職員として派遣前訓練に携わりながら、国際協力や教育開発に関して自分なりに理解を深める日々をすごしました。
・留学、JPO、受験、派遣まで: 修士課程在籍中は、「自分が援助機関(国連、政府機関、 NGO 問わず)で働くとしたら、どんな問題にどうアプローチすべきだろうか」ということを常に念頭に置きながら、コースワークや修士論文にできるだけ現実的な視点を持って取り組むように心がけました。その後、留学中に応募していた JPO 試験に幸運にも合格することができたのですが、私は特殊技能や業務経験、語学力などが人並み以上にあったわけではないので、むしろそのぶん時間をかけて作った応募書類(履歴書)の出来と自然体で臨んだ面接が好意的に評価されたのではないかと思います。また、日本のこの業界では少数派である「若い男性」ということで、ひょっとしたら「下駄を履かせてもらった」という面もあったのかもしれません。ところが JPO 試験から実際の派遣までは半年から 1 年もの時間がかかるので、その間の仕事と生活を考えなければなりませんでした。とにかく履歴書を片っ端から送った結果、社会開発系コンサルティング企業に見習い職員として拾ってもらい、 1 年間あまりコンサルタント業務の支援に関わることができました。短い期間でしたが、社会調査の実践、質の高いプロポーザル・レポート作成、開発案件の計画・評価の手法、相手国政府やコミュニティ住民と接する際の姿勢など、数多くのことを集中的に学ぶことができました。これらはどれも基本的なことですが、その後の JPO 業務、そして現在に至るまで非常に役立っています。その後、 JPO 試験合格から実に 1 年 4 ヵ月後の 2004 年 4 月に、西アフリカはガーナの国連児童基金( UNICEF )の教育セクションへ赴任します。
・JPOとして派遣されてからの勤務状況・感想など: 「世界中の国連機関に配属されている数百人の JPO たちの中でも、自分は最も幸運な 1 人だったと思う。」これは、 2 年 3 ヶ月にわたった JPO 業務を終え、 UNICEF ガーナ事務所を去る際に同僚たちに開いてもらった送別会で言った言葉ですが、建前でも何でもなく、正直に感じたことでした。他の JPO や JPO 出身者と話をしていると、各人の JPO 体験が極端に違うケースがあることに驚かされます。そしてそれはほとんどの場合、所属機関がもつ組織文化、配属された事務所の雰囲気、そして何よりも(直属の)上司と同僚との関係によって大きく左右されるようです。私は、派遣までの時間はかかりましたが、希望通りのポスト( UNICEF, サブサハラ・アフリカ、基礎教育担当)につけたこと、そして非常に人望・人徳・指導力がある上司と暖かくも厳しい同僚たちに囲まれたことで、のびのびと仕事をさせてもらえました。もちろんそれなりに苦労もあり悩むこともしばしばでしたが、私の場合は以下の点を肝に銘じて充実した JPO 期間を過ごしました。
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1. |
まだ仕事を選り好みする段階・立場ではないとわきまえ、専門外のことや雑務も含めて、とにかく何でも積極的に取り組む姿勢を保つ。 |
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2.. |
「 J :ジュニア」の立場に甘えるより、「 P :プロフェッショナル」の呼称にふさわしい仕事をする。 |
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3. |
自分が特に貢献できそうな分野・技術(「すきま」)を見つけだし、それを的確に実行することによって周囲の信頼を徐々に得ると同時に、 JPO 後につながる実績を少しでも作る。 |
実際の業務では、ガーナ全国の州・郡レベルでの教育計画策定、教育統計 / 情報マネジメントシステム強化、学校外基礎教育プログラムの政策・戦略作成、周辺国からの難民児童への緊急教育支援、マルチセクターのパートナーとの提携による包括的な学校改善事業の展開(「 Child Friendly Schools: 子どもに優しい学校」)などに幅広く携わりました。月の 4 分の 1 程度は出張で教育省のカウンターパートと共に全国各地域を回り、また他の国連機関や日本を含む各国政府の援助機関のパートナーとの協力にも関与することができました。 JPO 時代に経験し学んだことは、全て現在の業務に直結し役立っています。
・JPO後の就職活動: JPO 期間の終了後に国際機関に「生き残る」のは至難の業だとされています。もちろん組織や専門性にもそれぞれ特色があるので一概には言い切れませんが、私はそう思っています。理由は色々ありますが、やはり P2 というレベルである JPO 終了後にふさわしいジュニアレベル( P/L-2 , 3 )のポストの数が(少なくとも UNICEF では)圧倒的に少ないことが、競争を熾烈にして「生き残り」を難しくさせている大きな要因だと思います。私のガーナ時代の上司や同僚は、口を揃えて「残りたかったら Non-family duty station へ行きなさい」という助言をしてくれましたが、私は家族と離れて UN のキャリアを追求するよりは他の道を選ぶことにし、 JPO 期間が終了した段階で UNICEF を去ろうと考えていました。また実際、自分が応募したい、もしくは応募できそうなポストが内部の空席情報にすらほとんど出てこなかったのです。ところが JPO となって 20 ヶ月目にようやく初めて魅力的なポストを目にしました。それが、私が現在ついている UNICEF 東部・南部アフリカ地域事務所の教育ポストです。こうして私は強運に恵まれ、初めて応募したポストを獲得した JPO という非常に稀なケースとなりました。あまりに特殊な経験のため、他の方にとっては(そして自分自身の今後にとっても)全く参考にならないのが残念です。
今後の進路: JPO 後にポストを獲得したといっても、 UNICEF の契約はせいぜい 2 年程度で、しかもローテーションポリシーがあるため、同じポストで 1 つの任地に残れるのは 3-4 年です。つまり、その後にはまたポスト獲得競争があり、しかもそれが続いていくわけです。ということで、「国際機関・ UNICEF に残る」ということを目的化せずに、柔軟にキャリアパスを作っていくことを目指しています。また、何をするのであれ専門性・語学力・学位を継続的に伸ばしていくことは重要です。そして、自戒を込めて書くのですが、これらを備えた上で更に総合力を高める努力が求められると思います。たとえば UNICEF のような機関で求められるものには、文書作成能力、資金調達能力、コミュニケーション能力、プレゼンテーション能力、交渉能力、ネットワーキングなどがあるでしょうか。また、一般的に日本人はあまり得意ではないと言われている(私もそうです)自己アピールも、必要以上にすると逆効果かもしれませんが、やはり自分が何ができるのかを事務所の同僚、他機関の同業者、そして同じ組織の本部や他国事務所の人々に知ってもらうことは有用かもしれません。また、将来をあまり心配しすぎない楽観的なものの見方、外国での不便な暮らしを許容できる図太さ、そして精神衛生を良好に保つ自分なりの秘訣を持つことも能力を高めることと同じくらい大切だと感じます。最後に、変化の激しいこの業界では簡単なことではありませんが、 5-10 年後の自分というものをイメージすることを心がけて、これからも仕事と生活をバランスよく満喫していきたいと考えています。
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